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仕事や家庭、ライフスタイルについて、お話を伺うコーナーです。 第1回目は言語聴覚士の あんこ さんにお願いしました。

Q:今も若いんですが・・・もうちょっと若い時の話し、聞かせてくれません?

 じゃあ、大学時代のこと、ね。

 現在は、医療業界で仕事をしていますが、その前に会社員をしていたことがありました。
よって、都会でよく見かける就職活動もしました。その頃を振り返ってみます。
私は、『良妻賢母』を標榜する女子大の伝統校で4年間過ごしました。私の大学時代は、まさにバブル景気が絶頂期という就職活動をするには、非常に恵まれた時代でした。当時の女子大生というと、ブランドもののバッグを持ち、テニスラケットを抱え、授業は適当にといった感じで、今の時代の大学生に比べたら、なんと無責任でお気楽なものだったか、私もそれに近い様子でした。
そんな時代に大学生活を送っていた私ですが、母がずっと働いていたせいか、専業主婦ということは全く頭の片隅にもありませんでした。職業研究やなんらかのスキルアップといった努力はしていなかったのですが、漠然と仕事と家庭について将来はこういう風に・・・と考えていたことはありました。

 それについては後で触れるとして、大学4年生の時に就職活動をしていて、世間知らずの私は非常に驚いたことがあります。それは、各社での説明会アンケートだったか、資料請求葉書にだったか、「会社選択の理由」という欄が必ずありました。そこに、「将来性、会社の規模、安定性、事業内容、仕事内容、場所、給料、社風etc…」といった選択肢が並んでおり、複数回答可で答えるのです。私は、「自分がその仕事をしたいから選ぶ以外に何があるのだろう?他に何か理由があるのだろうか?」と、この質問にいささか訝しげな気持ちでいました。今思うと、会社側が行う調査として何の不思議もないのですが、当時は、自分の立場でしか判断できなかったのですね。
話は戻り、このアンケートには答えられない隠れた志望動機があることを知ったのです。それは、将来、夫となるべき人が勤めていて欲しい知名度のある大企業に勤めたいという動機でした。つまり、理想の結婚相手!探しの就職です。おそろしや〜、全てではないとはいえ、意外に少数派でもないのです。別に人それぞれ自由ですから、構わないのでしょうが、私には絶対にありえない選択でした。だって、自分の人生は自分のものだし、人に幸せにしてもらおうなんて、自分の力で幸せになればいいじゃないの?と思ってしまって・・・。

 話が長くなりましたが、最後に私がそのような環境の中で描いていた未来像は、集合って、小学校時代でしたか習いましたよね。四角の中に円が二つあって、その円が重なっているところが部分集合という、その2つの円に共通する箇所です。私は、自分の夫との関係をそれに例えて考えていました。私の円と夫の円があり、部分集合にあたるところが、お互いの共通、共有部分。子供であったり、家事であったりと家庭を意味します。その部分の面積は、大きくなったり、少し細くなったりと、その時の事情によって変わります。そして、全体は、二人を囲む環境を指します。つまり言いたかったのは、一人の人間として、自立している部分、そしてお互いに尊敬し合える部分をしっかり持っていたいということです。決して、夫の円の中に自分の円がすっぽり入るような集合にはしたくないと思っていました。

 これは、当時私が考えていたことですので、「はーそういう人もいるのね。」程度にお読みください。そして今よりも、女性の生き方についての考えが単一な時代であったように思います。現在は多少の社会人経験を積み、多くの人との出会いに魅力を感じている毎日であることも付け加えさせて頂きます。

 

Q:その後、どうなったのか聞きたいです!  う〜ん、じゃ社会人1年生の時のこと、書きます。

 社会人1年生というのは、いろんなことがあり、とても印象的な時代ではないでしょうか。自分自身について振り返ってみても、多くの出来事が鮮明によみがえります。今回は、この頃の出来事のうち、私にとっても最もインパクトがあり、そして、その後の生き方に大きな影響を及ぼした、たった一瞬の象徴的なシーンをご紹介したいと思います。

 少し時をさかのぼりますが、私は女性に人気の高い某社から幸いにも、大学4年の夏に内定を頂くことができました。しかし、せっかく私を採用して下さったにもかかわらず、当の私は本当に怠け者で、のんびり屋で、認識不足、思い出すだけでも赤面しそうなくらい情けない事ばかりしでかしていました。

 例えば、大学在学中に会社へ提出しなければならない宿題を殆どやらなかった。研修初日に、リクルートスーツではなく、赤いセーターに白いズボンというおめでたい格好で出勤してしまった。もちろんそんな人は200人の新入社員で私ただ一人。そして研修中の成績は、推測するに惨憺たるものだったはず。返却された論文課題に「バカ!アホ!」といった上司のコメントが入っていました。その評価も0点に限りなく近かったと記憶しています。研修後半の上司との面接で「結婚しても仕事は続けます!!」なんて元気良く答えており、ありがた迷惑だったかも・・・。

 そんな私に与えられた仕事は営業庶務でした。同期の男性2人が営業として同じ部に配属されました。営業マンが外に出かけて直接お客様と応対し、営業庶務は社内で電話によるお客様からの多くの問い合わせに対応していました。その他、受注、発注、経理、資料準備、資料発送などなど、覚えなければならないことは多々あり、新米の私は必死な毎日でした。世に言うお茶汲みも女性の私の仕事でしたが、これには別段男女差別だと目くじらを立てるような気持ちにはならずにやっていました。

 所属していた部では、年に4、5回、お客様へ説明会のようなものを開催していました。営業庶務は受付、営業は説明会の講師役でした。受付は、説明会が始まってからも、遅れているお客様を待っていたり、資料の整理などをして、2時間近い説明会が終了するまでの間、会場の外で待機していました。
 この時の説明会も、いつものようにお客様をお迎えして、そろそろ始まるという時間でした。数名の営業マン達が、会場に入って行きました。私は、会場の外から何気なくその様子を見ていました。私の同期の男性が最後に、会場入り口の扉の向こうへと消えて行き、扉は閉められました。それは、毎回繰り返されるいつもの光景なのですが、なんだかその日は、吸い付けられるようにそれを眺めていたのです。その扉は、関係者以外の立ち入りを阻むかのように、しっかりと閉められ、同期の男性は中へ、私は外へと分けられてしまいました。 
 私が忘れられないのは、このシーンなのです。同期入社した男性は、この扉の中へ当然のように入って行く、しかし私は入れない。扉で分けられたのは、物理的な位置関係だけではなく、入れるだけの実力がない自分をも分けたと直感的に感じたのでしょうか。「いつかこの扉の向こうへ私も入る」そう決心しました。

 私の新人時代は、男女雇用機会均等法が施行されて3年ぐらいだったと思います。できたての法律で、まだまだ問題はあったようですが、社会的にもそして、社内の雰囲気にも恵まれ、営業マンのように自立した仕事をするための努力に向かい風は吹きませんでした。営業マン不在の社内でも、できるだけ営業マンと同じようなサービスを提供できるよう知識を身につけ、危機や成果を敏感に察知できる感覚を身につけようと努力しました。営業マンとは、直接的に担当している目の前の仕事は違ってもお客様は一緒です。電話を下さるお客様に満足して頂き、頼りにして頂く、それを営業結果につなげるのが私の仕事と認識して毎日働きました。そして1年後、組織再編成があり、情報の収集、編集、発信というこれまで営業マンが担当してきた業務を名実ともに担当することになりました。まだまだ力不足でしたし、自立なんて程遠いものでしたが、私自身はこのチャンスがうれしかったのを覚えています。

 あの時のあのシーンが、のんびり屋で怠け者の私に目覚めの機会をくれたのではなかっかと思います。結果として男女という分け方に反発したのかもしれませんし、自分は補助的な仕事ではなく自立して仕事をすることが望みだと悟ったのかもしれません。そして、この頃に、大学時代から長く付き合っていた男性にも、自分から別れを告げてしまいました。

 きっと誰しも人生の中に、こんな些細な、でもインパクトのあるシーンが存在するのでしょうね。あのシーンから12年、私の仕事は変わりましたが、基本的には扉の向こうに入ろうとする志向は変わっていないと思います。