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■実はこんなに大きくなるとは、思ってなかった
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私は最初、大学の医局から派遣される形で赴任しました。来た当日に髄膜腫の手術をすることになって、「これは忙しそうな病院だなあ」と思った予感は的中し、その後10年、ただもくもくと仕事をしてきただけでしたが、気が付いたら院長になっていた次第です。
忙しかったのも当然で、医者は最初、多くて3名・少ないときは2名で何もかもやっていたのです。医者だけでなく、あの頃の数少ないスタッフはホントに優秀で頑張る人が多く、みんな何かに突き動かされていたがごとく働いていました。
結局、このままではベッドが足りない・リハビリができない・検査が待てない・・といった感じで需要が増えるにつれ病院も大きくせざるをえず、今のような形になったのです。(もっとも理事長はちゃんとやれば必ずこうなるという目算は持っていて、われわれも常々それを聞かされてはいましたが。)
決して、室料を高く取ったり、不要な検査や投薬をしたりせず、まっとうに地道にやってきてここまで大きくなったというのは、10年を振り返ってみると私にとっては嬉しい誤算といえるでしょう。
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■10年で変わったこと、変わらないこと
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さて、10年前というと、よく考えてみるに携帯電話もインターネットもなかったに近いですよね。今のように子供からお年寄りまで普及してはいなかった。国際化がどんどん進み、外国人・外国製品が一気に増えたようにも感じます。バブル崩壊から少しは立ち直ってきた経済、省庁改編もあったし、「構造改革」もそれなりに進んではいるようです。
そんな中、私はこの10年で日本が最も変わったのは、危機管理に対する考え方ではないかと思っています。
10年前の1月に阪神大震災が起こり、その後はオウム事件、大企業倒産、イラク戦争、昨年は中越地震に洪水、スマトラ地震と津波被害など天災から人災まで、人は普通に生活しながらもサバイバルゲームにいつ巻き込まれるかわからない状況です。雪印事件やBSE食肉偽装事件、銀行の不正、SARSや鳥インフルエンザもありましたね。
それらの原因究明や対処の流れの中で、以前よりずっと「個人の責任」がクローズアップされていると思うのですが、いかがでしょうか?
組織に命じられたから、他の会社でもやっているから、(役所などの)上層部の指示がでるまで動かなくてもいいと思っていたから・・そんな言い訳は通用しない時代になったのです。
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リハ病院から見た町並み
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医療の世界でも、医療事故の多発という変化があり、医師だけでなく看護師などコメディカルにも実刑判決が出るなど個人責任の追及が浸透してきました。もっとも、事故多発というよりは発覚多発になっただけで実態は変わっていないという見方もあるでしょう。
増えたのは、表に出る数と訴訟です。
インターネットは誰にも簡単に医学情報を提供し、マスコミはまるで悪徳医者しかいないような報道で市民を煽り、患者は中途半端な知識のもと、医者と医療に不信感を募らせていく。もちろん、過ちは正さなければいけませんが、10年前の心構えでは、今、医療はできません。
多くの医療従事者の、目の前の患者を助けたいという純粋な気持ちは昔も今も変わっていないけど、その気持ちを証拠として常に立証し、記録しなくては自分の身の安全を保てない時代になったといえるでしょう。
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■なぜ、脳神経外科医になったのか?
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私の父は内科医でした。「もっと楽な道もあったのかなあ」と長時間手術が続くときなど、考えないわけでもありませんが、私は脳外科医で正解だったと思ってます。選んだ動機は、学生のとき、脳外科の実習中に「脳外科に入らなかったら一生脳みそは見れないよ。」と言われたのが印象的だったからという極単純なものなのですが。
脳外科医になって良かった点は、「手術により確定診断ができること。常識では考えられない事が結構あり、勉強になること。」です。人生で大切なことは、「この世に生まれたからには、人の為に何かの役に立てるような人間になること。常に前に進み、死ぬまで生きること。」だと思うので、それがいやでも実践できる環境には感謝しています。
読者の方が若い脳神経外科医だと想定して、10年前より脳外科を取り囲む社会環境は厳しいものになったという事実はありますが、やっぱり脳外科医は医者のやりがいランキングでは上位じゃないかと思います。
責任は組織ではなく個人にあるものなら、そろそろ、自分の進路も(医局じゃなく)自己決定するのが常識になりつつある現在、当院もぜひその選択肢に入れてほしいものです。心に恥じないちゃんとした医療をやって、自己実現もできる職場って意外に少ないから、私は当院はオススメだと考えています。
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リハ病院裏山の小道
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■チーム医療で難局を乗り越えよう
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もうひとつ、医療の10年で変わってきたものに、「患者さんをチームで全人的に診ること」があげられると思います。
当院では以前から、管理栄養士やSTが「VFでむせる原因をつきとめ、むせにくいとろみ食を工夫する」といったチーム栄養管理やPT・OT・ST・MT(音楽療法士)が職種の区別なくリハビリテーションを進める試みなどを行っていますが、これには医者もずいぶん助かっており、かつ眼から鱗の術後回復を目の当たりにすることがあります。
10年前はよく考えもせず、点滴だけで管理したり、管を抜くという理由でむやみに抑制していたけど、患者さんがより生理的に当り前の状態にあるということが、脳をはじめ身体の回復を早めるという考え方は医者だけでは出てこない発想です。
これからは、ひとり医者だけが司令塔となり権限と責任をあずかる時代は終わり、より専門性に富んだ優秀なスタッフを養成し、彼ら・彼女らのパワーをシステムとして活かしていく医療が求められるでしょう。
そうでないと、医者も息切れしそうだし。(笑)
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本院屋上ガーデンの花
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■若い医師の方へ
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10年前にはなかったマッチングによる医師研修制度も始まりましたね。医者も自分のキャリアを自分でデザインする時代になりましたが、どうか、ただ楽だというだけで道を選択しないでください。
私が20代の頃、研修医には給与も人権もありませんでした。その弊害を是正するために新たな制度ができたわけですが、昔の研修制度には「苦労と危険が有り余るほど、もれなく付いてくる」というメリットもあったのです。
楽な道だけを行こうとする人に、患者さんはもちろん、スタッフもついては来ません。
私は医者にとってのリーダーシップとは、自分が模範になることだと思います。自分がやっていないことを人にやれとは言えないですよね。
辛いこと、危ないことを乗り越えて、はじめて見えてくることも多いし、そうすると各スタッフの良いところを引き伸ばし、悪いところを正してあげる力も自然と付いてくる気がします。
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これからの日本の医療はどういう方向にいくのでしょうか?当院では絶対的な医療費不足、マンパワー不足が予測される、「団塊の世代高齢化時代」に対処すべく、まずは市民のみなさんの意識改革をはかろうと、種々の試みを実践中です。
家族ボランティアとか、家族の会、市民講座、各種の勉強会、イベント・・・これらを通じて、まずは積極的に市民の方の医療への参加を促したいと考えています。
また、日本の医療を輸出産業にして、世界に貢献するとともに自らのレベルアップを図ろうと、海外進出も計画中です。新しいことだから、うまくいくとは限らないし、困難も多いけど、迫り来る事態から逃げたり、傍観したりでは危機管理はできません。
10年かけて、われわれが得た実感、それは「やればできる。やらなきゃ何も始まらない。」ということなんです。
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